アジアの西端から東の端の日本まで遥遥とオスマントルコ帝国親善使節一行が来日したのは1890年、明治23年6月であった。
明治天皇に謁見、全ての親善行事を消化し同年9月15日横浜港を出航した軍艦エルトゥールル号は 翌日の9月16日、和歌山県串本の大島沖で台風に遭遇し座礁転覆、オスマン、パシャ提督以下587人が死亡するという大惨事となったのであるが、大島島民の命がけの救助により69人が救助された。
それから120年目の今年は、トルコ国内では『トルコに於ける日本年』として一年間を通じ日本とトルコの親善行事が多彩に催されている。
日本での今年最大の行事は串本町での『エ号殉難将士追悼式典』である。この催しは和歌山県、串本町、トルコ大使館の3者により5年毎に催され、さらに10年毎には盛大に執り行われている。
今回、柏崎トルコ友好協会から会長高橋篤一、副会長矢川悦郎、組織強化委員長安達公司の3名が招待を受け参加したのでここにご報告いたします。
6月3日の串本町での追悼式典は4つの行事から構成されていた。
① 洋上追悼式典(自衛艦にて) ②陸上追悼式典(慰霊塔前にて)③ケマル・アタチュルク像建立除幕式 ④日本トルコ友好120周年祝賀レセプション であった。
早朝から三笠宮寛仁様、同長女あき子様がご臨席されておられた。暑い中(当日は和歌山県の最高気温は28度)お二人の宮様はお疲れも見せず凛然とされてるお姿は印象的であった。
① 洋上殉難将兵追悼式
朝6時30分に串本ロイヤルホテルのロビーに集まった各界代表の方々90名と共に先ずは串本漁港から第五管区海上保安本部の巡視船「みなべ」に乗船、沖合で海上自衛艦「せとゆき」に乗り換えて大島の樫野崎沖の洋上へ。船上では3月に柏崎トルコ友好協会総会にご出席頂いたトルコ大使館のオスマン・ベキャロール一等参事官との再会を喜び合った。
船上での追悼式は全員の黙祷から始まった。続いてトルコ大使館のセルメット大使、海上自衛隊呉地方総監武田壽一海将などの追悼スピーチ、伝統的な海軍追悼歌『海ゆかば・・・』の流れる中、三笠宮様より海上への御献花、続いてオスマン・パシャ提督のひ孫のオスマン・テキタシュ氏、トルコ大使館武官をはじめ乗船者全員で献花、儀仗隊による拝礼・・・・などが執り行われた。船上での海上自衛官、保安官は何れもキビキ
ビとした行動で参加者の胸を打つものがあった。
艦上で。柏崎より参列の3名 トルコ大使のご挨拶
ご献花される三笠宮様 提督の御子孫、後方は樫野崎
洋上での儀仗隊 自衛艦『せとゆき』
② 陸上追悼式
樫野崎にある慰霊碑は昭和12年6月3日に完成した高さ13メートルの堂々たる慰霊塔である。これはトルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマル・アタチュルクの命によりトルコ共和国の資金で建てられたもの。
ここには大島島民全戸を始め和歌山県内や遠来の観光客などで溢れていた。
エルトゥールル号遭難事件は大島島民にとっては身近な出来事として今でも生々しく語り継がれ生きている。セルメット大使は挨拶の中で『殉死兵の御霊は温かく慈愛に満ちた日本国民の懐に抱かれて安らかに眠っている事でしょう』と述べられ、また和歌山県仁坂知事は『私たちの先祖が人の道に照らして胸を張り得る歴史を残した事に誇りに思う。同時にトルコの方々が何時までも感謝の気持ちを忘れない事は尊敬に値する。』などと挨拶をされていた。
特に印象深かった事は、『エ号追悼歌』を歌った大島小中学生110人と大島婦人合唱団である。この大島小中学生は今も定期的にこの慰霊碑の清掃を続けているとのこと。また、ご婦人たちの合唱からは120年前の記憶が消えないように、との懸命の気持ちが参列者に伝わった。
③ ケマル・アタチュルク像建立除幕式
ご存知のように、ケマル・アタチュルク騎馬像は『柏崎トルコ文化村』のオープンにあわせトルコ共和国本国より寄贈されたものである。柏崎市民には馴染みのブロンズ像である。
しかし、バブル経済崩壊による『柏崎トルコ文化村』の経営破綻、2度に渉る新潟県中越地震とその2年後の中越沖地震により 危険な状態から止む無く像を台座より取り外し、シートに包み屋内に大切に保管されていたものであった。この像については柏崎市民とりわけ柏崎トルコ友好協会会員の皆様は胸を痛め「早くかっての雄姿が見たい!」と 強く望んでいた。
私たち3名の気持ちは『やや、幸せ薄かった娘を嫁に出す花嫁の父の心境』であった。『良いところに落ち着いてくれた、・・・。串本の皆さん何卒よろしくお願いします・・・。』との気持ちで除幕式を凝視したのである。現地で合流し式典のみにご参加、とんぼ返りされた会田柏崎市長もおそらく同じお気持ちだったのだろう。市長の表情からも感慨と安堵の色が見えた。
この像は柏崎に在ったときよりさらに台座を50センチほど高くしてあり、高くなった分だけ以前より見応えがし、右手は堂々と眼下の太平洋遥かを指差している。
トルコ大使や、トルコから駆けつけた銅像製作者、日本財団の笹川理事長、トルコに於ける日本年実行委員長の張 富士夫氏などが除幕すると会場から大きなどよめきと拍手が沸き起こった。そしてアタチュルク像前ではオスマン帝国時代からの伝統的なトルコ軍楽隊の勇壮な行進曲や、日本の童謡『さくらさくら』が演奏され拍手を浴びた。
是非、柏崎トルコ友好協会の会員国内旅行に串本を企画し会員の皆様からもケマル・アタチュルクの雄姿をご覧頂ければ・・・と3人で話し合った。
アタチュルク像建立除幕式 トルコ軍楽隊
④日本トルコ友好120周年レセプション
夜7時より串本ロイヤルホテルでの日本トルコ友好120周年レセプションには当日の参加者、樫野地区を始め地元の方々など400名ほどの大パーティであった。
実行委員長の串本田嶋勝正町長に『ご苦労様でした』とお声掛けをしたところ安堵の表情で『ようこそ御越し下さいました。日本トルコの友好のため精一杯やっています』とのお話。柏崎トルコ友好協会の主催した「トルコ児童絵画展」をこちらでも開催されたら・・・と提案したところ、検討してみましょう、とのご返事。
また、海上自衛隊阪神基地隊司令の村川海将補に、私達は新潟県柏崎から参りました、と話すと『海を守るのは日本を守る事。新潟での拉致事件は大変残念です・・・』と話されていた。
昨年のNHKTV大河ドラマ『天地人』を脚本された小松江里子さんもおられ『今度エルトゥールル号の映画を作りますので是非ご覧下さい』とのこと。ややアルコールの回った私が「天地人」には柏崎枇杷島城主の「宇佐美駿河守」や赤田城主の「斉藤下野守」を入れて欲しかった、と不満を申し上げたら、『私は新潟が大好き。お気持ちは良く解ります・・・・。』
多くの皆さんとの交流と会話、楽しくも有意義なレセプションは夜9時まで続いた。
平成22年6月8日
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