副会長 矢川 悦郎
NHKで最近放映されたトルコの魅力とは・・・・の答えとして「一粒で二度美味しい国」とあり、一回行けば二つの素晴らしさが味わえるとして、一つは「東西融合の生みだした文化、歴史」二つには「自然と都市の見事な調和」を上げていました。私は「三度美味しい」と言いたいです。それは言うまでもなく「トルコ人の心の豊かさ」です。 この三点について卑近な例を上げて説明します。先ずは東西融合のシルクロードの終点、ローマ時代の十字軍の終点。「東西の秘宝を豊富に陳列したトプカプ宮殿」「迷路バザール」「イスラムの大本山アヤソフィア」「奇岩都市カッパドア」「巨大な地下都市カイマクル」「多重堆積文化都市トロイ」「巨大港湾都市遺跡エフェソス」「白亜温泉パムッカレ」そして何よりも人間が素晴らしい。東西混血の逞しさ、美しさは凄い。イスタンブールを闊歩する女性はすべてクレオパトラ。街角でチャイを飲む男たちは押しなべてアレキサンダーかジンギスカン。彼らはまた人懐っこく「メルハバ!ナッスルスヌス?」(今日は!お元気?)と話しかけてくる。
カッパドキア トルコ絨毯
「自然と都市の見事な調和」について
エーゲ海、マルマラ海のコバルトブルーは類を見ない青さである。イスタンブールから黒海に至る左右の海岸は正にこの世の楽園である。古城、別荘、入り組んだ海岸線、クルーズ船、釣り人がバカンスを謳歌する。世界の沢山の有名人がこの地で生涯のひとコマを過ごしている。ナイチンゲール、トロッキー芦田首相、大谷光瑞、シーザーもアントニオもクレオパトラも・・・・と想像する。内陸では塩水湖「トウズ」が生息生物皆無さを誇っているようにさえ見える。湖岸線は白一色のソルトビーチだが意外と周りとマッチしているのが不思議である。
羊が群れる。綿花畑が果てしなく続く。夕暮れは「ミレーの晩鐘」を思わせる風景があちこちに見られる。ボロデーンの「中央アジアの草原にて」を彷彿させる。
「暮れなづむ 軒にチャイ汲む男らに 草原の陽は赤々と落つ」
「星ひとつ残し 遥けく陽は沈み 農婦の祈り草原に満つ」
三つには、人間の温かさ、そして彼我の人間観、世界観、価値観などの違いに魅せられる。稀に見る日本人贔屓はまた後で述べるとして、先ず、ホームステイで日本の子どもを預かった両親の行動である。基本的には「預かった子どもは私たちの子どもです。日本へ帰るまですべて責任を持ちます。」に終始する。日本の子どもたちが「団長さん ドルをリラに変えて」と言うとすかさず「私の子よ。私がしてあげますよ。」。子どもの体調が悪くなって「日本の家に電話するから・・・」と言うと「私の仕事よ。心配しないで。ドクターに見てもらうから。治療費の心配もしないで・・・」と徹底している。可愛がるが厳しいしつけはきちんとやらせる。ここが違う。私もG 君の両親のお世話になった。登校時に私を運んでくれる人である。ホテル住まいの私を毎日夕食に誘うのである。ロカンタ(レストラン)で「何でも食べなさい。料金は私の責任ですから・・・」と言ってお金は決して受け取らない。「あなたの送迎を引き受けたのだからそれは当たり前。」と言っているのである。
エーゲ海沿いを旅した時のことである。マルマリスと言う海岸町で昼食を取ろうとバスを降りたが、あいにくのレストランがお休みではたと困った。ところが仲間の女性二人にトルコ女性これも二人が事情を知って、自分のお弁当をありったけ「ブユルン」(どうぞ)と言って差し出した。日本の二人が躊躇っていると、試食をして見せて「大丈夫 どうぞ」と来た。これには一同びっくり皆で「テッシュキルデルム」(アリガトウ)でいただいた。美味であった。
もう一つ、トルコの人は一般に大食である。それも甘いもの、脂肪の多いものを実によく食べる。平均寿命は極めて低い。そこで私は政府高官に「食生活の改善をしてみたらどうですか。」と聞いてみた。答えは「いたずらに長生きしてもしょうがない。大体トルコの食文化は3000年の歴史があるのですよ。簡単には変えられません。私たちが65歳で亡くなれば子どもたちがまた65歳まで生きてくれますよ。その繰り返しの中に私たちは生きていますよ。」
なるほどと思うことがあった。イラン、イラク戦争(1985年)でイランに居た在留邦人265人が救援機が間に合わず、孤立していた。残された時間は僅か10時間。トルコ政府が救援機2機を危険を冒して派遣してくれた。
危機一髪で邦人は救出された。二人のパイロットに記者が「なぜですか?」と問うたら、100年以上前にトルコの軍艦エルトウルル号の遭難を日本が救い手厚く保護してくれたお礼です。」とこともなげに答えていた。歴史の重みと生き続ける世代の心の絆に感動したものだった。
トルコ語挨拶例
はい・・・・・・・・・・エベット
いいえ・・・・・・・・・ハユル
今日は・・・・・・・・・メルハバ
おやすみ・・・・・・・・イイ ゲジュレル
おはよう・・・・・・・・ギュナイドン
こんばんは・・・・・・・イイ アクシャムラル
お元気ですか?・・・・・ナッスルスヌス?
元気です・・・・・・・・イイイム
有難う・・・・・・・・・テシェキュルデルム
どういたしまして・・・・リジャエデリム
さよなら(去る者)・・・・アッラハウスマラドック
さよなら(送る者)・・・・ギュレギュレ
会えて嬉しいです・・・・タヌシュトムザメムノン オルドム
また会いましょう・・・・テクラルギョルシェルム
いくらですか?・・・・・カチュパラ?
助けて・・・・・・・・・イムダート
道に迷いました・・・・・ヨルム カイベッテム
ご馳走様・・・・・・・・エリニゼ サールック
OO さん(男)・・・・・ ベイOO
OOさん(女)・・・・・・ハヌムOO
私の名はOO ** です。・・・・アドウムOO **
お願いします・・・・・・ルトフェン
もし もし ちょっと・・・・アフェデルスイニズ
トルコの素晴らしさを知ることができました。
このような素晴らしい歴史あるトルコと日本、そして柏崎との絆を、さらに深めていただきたいと思います。
投稿情報: 吉田眞理 | 2009年10 月18日 (日) 03:00
昨日、上越サンプラザホテルのレストランで、上越教育大の川村教授と、11月3日に大学で上演される古浄瑠璃“越後国柏崎・弘知法院御伝記”に関わることで、会食をさせていただきました。古浄瑠璃や、この上演を御提案下さったドナルドキーン氏のお話を伺おうと思ったのですが、なんと、教授は、大のトルコ通。この出会いに感激でした。
この協会の皆様がご本を寄贈されたチャナッカレ日本語学校とは、教授が1ヶ月出講していたÇnakkale Onsekiz Mart Universityチャナッカレ・オンセキズ・マルト大学そのものでした。
教授が大学内で行った公演の演題は「伝統的な日本絵画と漫画とアニメ」だったそうです。
トルコのほとんどを知り尽くしていらっしゃる先生。
上越教育大とその大学は提携しており、その窓口が川口先生でした。「トルコに関して何かお手伝いできることであれば、なんなりと…」と言ってくださり、帰ってさっそく、高橋会長に御報告いたしました。
教授も、12月23日のグランコートであるアベマリアコンサートに来てくださいます。皆さんに、是非ご紹介したいと思います。
投稿情報: 吉田眞理 | 2009年10 月28日 (水) 11:59
今日、中越沖地震の震災時に、2日間にわたって柏崎産文会館で催された “ 原子力の耐震性の国際シンポジューム ” で御縁をいただいた、日本原子力産業協会の 坂上 さんという方から久しぶりにメールが入っていました。こちらもびっくり。
インターネットをなんとなく検索していたら「柏崎トルコ友好協会」を見つけ、(確か2003年だったと思います)の「トルコにおける日本年」にイスタンブールとカッパドキアを訪れ、HPを拝見し、なつかしくなってメールを下さったとのことでした。
トルコ旅行中はテロにも遭遇し、怖い思いもしながらも、雄大な大地やエキゾチックな町並み、トルコの人々の暖かさが忘れらないそうです。そしてこの柏崎トルコ交流協会が、全国規模で会員を募集しているようなので是非、参加させていただきたいという御意向を知り、うれしく思いました。
また、12月23日のアベマリアコンサートにも、東京からご参加くださるとの事、幸運続きで、感謝あるのみです。
投稿情報: 吉田眞理 | 2009年10 月28日 (水) 12:30