柏崎トルコ友好協会会長
高橋篤一
柏崎には震災前まで大規模なトルコと柏崎の友愛のテーマーパーク「柏崎トルコ文化村」がありました。その後の急激な社会的経済的変化により残念ながら今は存在しませんが、多くの柏崎市民は今も懐かしみ心に深く残っています。それと同時に活発に活動し多くの実績を残した『柏崎トルコ友好協会』もありました。2度に渉る大震災でやむなく活動を休止せざるを得ませんでしたが、ここに協会の活動を再開できましたことを会員の皆様と共にお喜び申し上げます。
トルコと日本はアジアの西と東の両端に位置しています。この両国は距離こそ離れていますが、共に尊敬と友情に結ばれた精神的にはとても近い国です。
日本が日露戦争での日本海海戦でロシアに勝利できたのはトルコのお蔭ですし、1985年のイラン、イラク戦争時にテヘランに取り残された日本人二百数十名を救出してくれたのも2機のトルコ航空機でした。
明年 トルコ共和国が『トルコに於ける日本年』と定めたのは、1890年に和歌山県串本大島沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が座礁沈没、それを必死で救助活動したのが大島島民で、604人の乗組員のうち69名を救助、他の遺体も丁寧に弔ったその年から120年目に当たるからです。トルコ国民は受けた恩義を決して忘れないすばらしい国民だと思います。(今回全会員に配布したDVDを参照)
トルコと日本にはまだまだ多くの歴史的な結びつきがあります。私たちはもっともっとトルコの方々との友情の輪を広め親善の灯りを燈し続けなくてはなりません。
柏崎にはトルコ共和国から寄贈された トルコ建国の父《ケマル、アタチュルク》のブロンズ像が、テーマーパークに凛然と建立されていました。除幕式には三笠宮崇仁親王同妃両殿下もご臨席され献花されました。 トルコ国民の《アタチュルク》を敬慕する念は 日本人が皇室を敬う気持ちと同等かそれ以上のものがあります。しかし2度の大震災によりこの像は倒壊の危機に晒されたため、やむなく台座より取り外され現在は大切に保管されているとの事です。この件は柏崎市民及び『柏崎トルコ友好協会』の会員の最大の関心事であり、 一刻も早く柏崎の空に《アタチュルク》像が以前の雄姿に戻ることを強く望んでいるのです。
しかしながら、現在ではこの像を含めてテーマーパークの前所有者と現所有者では係争中です。残念ながら私共協会としては裁判中の事案に口を挟むことは出来ませんし、慎まなくてはなりません。
もともと、最初からトラブルを望む者などいない筈です。私は両者とも被害者だと思っています。経済状況の変化、2度の大震災、売買時のちょっとしたボタンの掛け違い等々によるもので、両者には同情を禁じ得ません。
柏崎市民及び当協会の会員としては、お互いが国際感覚の視点を持たれて、柔軟に、一刻も早く、友好的に解決していただく事を心より願うものです。
7月17日の総会時には当協会の会員数は50名を割っていましたが、8月1日現在で100名を突破し、さらに増え続けています。特に若い方々が入会して頂いていることが最も嬉しく 力強さを感じます。
これからも もっと多くの市民の皆様に呼びかけて会員になって頂き、トルコと日本、トルコと柏崎の友好親善に1ページを書き加える事が出来れば、当協会の活動再開の意味があります。
『柏崎トルコ友好協会』を日本一の友好親善協会へと盛り上げようではありませんか!
平成21年8月8日
私がこの “ アタチュルク像 ” の事を知るきっかけを作ってくださったのが、この会の会員でいらっしゃる土田さんでした。
お恥ずかしながら、私はトルコと日本にこれほどの素晴らしい歴史があるとは、全く知りませんでした。この歴史を土田氏から学ばせていただき、胸が篤くなる思いでした。そしてトルコの方々が大切にされている建国の父 “ アタチュルク像 ” が野ざらしになっているか否かが、とても気になり、私は確かめたくなりました。
ちょうど私が所属している柏崎商工会議所女性部の会員に、グランコート経営者の妹さんがいらしたので、お声をかけましたら、気さくに 「見て」と言っていただき、私は施設内の屋根つきのところに、青いシートでくるまれて丁寧に保管されていることを確認しました。
野ざらしになっているという誤解があることは、柏崎市民としてとても悲しいことと思い、その思いはグランコートさんも一緒で、さっそくトルコ大使館にお写真と、お手紙を添えてお出ししたところ、大使館から丁重なるお返事をいただいたと、見せていただきました。
誤解で問題がこじれることほど悲しいことはありません。真実こそ、信頼の深い絆を育むものであると信じます。
一部の事実ではなく、全体の真実を、そしてお互いの善意と明るい希望に満ちた未来を育むための映像と言霊が必要であると信じています。
私は震災後、聞いたことをうのみにせず、 “ 自分で確かめる事 ” の大切さと、 社会は人に作ってもらうものではなく、“ 自ら作るもの ” であるということを、学びました。
人の成す事を批評・批判する事は簡単です。しかし、より良い未来を築く為には、気がついた人が行動に移す事。どう自分の人生を社会の為に貢献させるかを、小さなことからでよいので “ 美しい夢ある言葉と行動 ” で、刻んでいくことが、これかの地球市民としての義務であると信じます。
投稿情報: 吉田眞理 | 2009年10 月18日 (日) 03:59